AI時代を考える③ ~”労働の認識”の歴史 その1~|桜ヶ丘クリニック|兵庫県伊丹市の総合内科・腎/高血圧内科

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AI時代を考える③ ~”労働の認識”の歴史 その1~|桜ヶ丘クリニック|兵庫県伊丹市の総合内科・腎/高血圧内科

AI時代を考える③ ~”労働の認識”の歴史 その1~

ここからは少しマニアックな話になりますがご容赦ください。私は元々高校時代に社会は倫理を選択していたので哲学が大好きでした。なお私自身は特に特定の宗教への信仰はありません。医学は幸福の追求の学問でもあり、今となっては哲学を学んでいたことは本当に良かったなと思っています。

さて、労働に関しては哲学史において様々な考察がなされているものでありここからはいくつか例示したいと思います。

 

1⃣ ユダヤ教、キリスト教(特にカトリック)の労働の考え方

旧約聖書の有名な一説として『失楽園』があります。元々人間(アダム,エバ)は楽園に住んでおり、そこは何もしなくても果実や作物が成り、生命は自然と生まれ、また老いることも死ぬこともない。しかし人間は蛇にそそのかされて禁断の果実(リンゴ)を口にします。その結果神の叡智を得ることができましたが、同時に神の激しい怒りを受けることになりました。最終的に楽園から人間は追放されるに至った、これが有名な失楽園のお話です。そして人間は楽園を追放された結果、『原罪』を負うことになります。原罪とは、(1) 出産の苦しみ (2) 死の苦しみ (3) 労働の苦しみ、です。

つまりユダヤ教、キリスト教(カトリック)の世界では『労働=苦しみ』『労働=原罪(人間が生まれもって背負った罪)』という認識であったわけです。実はキリスト教(カトリック)の発想が比較的現代的な発想に近いのかもしれません。

 

次に同じキリスト教でも『プロテスタント』の世界の労働の考え方についてお話ししようと思います。プロテスタント哲学は現代の資本主義を生む最も大きなきっかけになったものなので面白いです。ここまでの内容で懲りずに最後まで見て頂ければと思います。では長くなるので次のブログに移りますね。