前回はユダヤ教、カトリックの労働観をお話ししました。『労働=苦しみ』という認識ですね。ここからはキリスト教の中でも近現代の資本主義に大きな影響を与えた”プロテスタント”の労働の考え方について説明していきます。(参照:プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神、マックス・ウェーバー著)
2⃣ キリスト教(プロテスタント)の労働の考え方
プロテスタントはカトリックに対するアンチテーゼとして誕生した宗派です。16世紀に誕生しルター,カルヴァンがその代表者です。カルヴァンの思想が特に近代の労働観に近いものとなっております。
(1) 従来のカトリックにおける富の考え方
まず前提として、旧約聖書において『富は神の前に積むもの』という一説があります。自分のために富を蓄えた人間が突然神様に怒られて命を取り上げられる、という衝撃エピソードです。中世カトリックの世界においては富は自分のために蓄えてはいけない、神の世界の体現である協会に捧げるものだとされておりました。典型的な封建主義の考え方ですね。
(2) カルヴァンの『運命説』
カルヴァンは運命説という当時の人々が驚くような新説を提唱しました。運命説とは、なんと『元々神は最初から救う側の人間と救わない側の人間を決めているため人間は生まれた時点でその運命が決まっている』、との考え方です。これが本当ならばヤル気なくなりますね(笑)。でもそう言われると自分が救われる側の人間かそうではないか、普通それが気になりますよね?生きている間に自分の与えられた運命を知る方法がある、とカルヴァンは言います。それは『自分の仕事を辞めずに頑張れるか』です。
プロテスタントの世界において職業とは神が理想の世界を造るために人々に与えたものであり、どんな職業であろうとそこに貴賤はないとしています。その『神に与えられた役割=職業』を全うできる人間は”救われる側”、途中で投げ出すものは”救われない側”ということですね。
長くなりました。続きは次項でお話しします。