前回の続きで今回は社会主義における労働の解釈に移りたいと思います。社会主義思想を提唱した人物としてマルクスがその代表ですが、彼の労働に対する考え方を紹介したいと思います。
4⃣ 社会主義における労働の解釈
前のテーマでお話しした通り、キリスト教の失楽園において『労働=原罪』と位置付けられておりました。しかしマルクスはこれまでの思想と全く異なり、『労働は人間の神の支配からの解放を象徴するものであり本来は人類の喜びであるはずのものだ』と語ります。しかし資本主義の社会において資本家による搾取が行われており、これにより本来ならば喜びであるはずの労働が苦痛になってしまっていると話しました。そしてマルクスはこれを労働の『疎外』(哲学用語:人間が作った物(機械・商品・貨幣・制度など)が人間自身から離れ、逆に人間を支配するような疎遠な力として現れること)と呼んでいます。そのため資産家による支配から解放し労働者が均等に報われる国家を作り出すことが必要だ、としこれが社会主義思想の礎になっております。
ここに至るまで長くなって申し訳ありませんでした。現代の労働の解釈,AI時代の労働からの解放についてのテーマを語るためには、先人たちの労働観を振り返ることが必須と判断したため長々と綴りました。ちなみに私の座右の銘は『温故知新』です。過去をただの過去と切り捨てずにしっかり振り返ることにより、現在に対してより良い向き合い方ができると信じています。
・キリスト教(カトリック)→ 労働=苦しみ
・キリスト教(プロテスタント)→ 労働=神の理想の世界を体現する尊いもの
・社会主義思想 → 労働=本来は喜び、しかし搾取により苦しみになっている
このような形で先人達は労働を解釈してきました。皆さんはどれが正解と思われますか?私としては社会主義思想とプロテスタンティズムの融合が最もしっくりきています。つまり労働,職業=自身の与えられた使命である、そして労働こそが人間が一番アイデンティティを高められるものであり本来は喜びであると思っています。しかしその喜びであるはずの労働が様々な社会的要因(社会主義思想のような搾取とかではない複合要因)により、逆に多くの人々にとって苦しみに切り替わっているのではないか、そう感じています。
さてここからは本題である労働に関する現代の考え方に移っていこうと思います。長編ですがもうしばらくお付き合い頂ければ幸いです。